おこぜの気持ち 20967


無題

1:おこぜ :

2024/04/24 (Wed) 16:18:50

我が家には猫が居る。猫たちはいなばフーズのちゅ~るが好きである。そのいなばフーズがブラック企業だと話題だ。

私は企業などというのは,基本的にどこもブラックだと思っている。

会社は誰のものか。

私は,あくまでも創業者であり,オーナーである人のものだと思っている。株式公開されている株式会社とて,そうである。昨今では,公開株所有の株主のものだという誤った認識が広まっているが,あくまでもその会社は創業者のものだ。

いなばフーズでの新規採用社の入社辞退は,SNSや特ダネ週刊誌が,自分たちの価値判断が正当だ主張するこの時代にあっては,影響力が大きいだろう。

世の中は,非建設的・否定的な考えに価値に置くようになってしまった。

新卒社員と言われる年代の人たちは,良い意味に於いても,悪い意味に於いても,忍耐力がない。

自民党の失策で,いつの間にか日本は労働者不足と言われるようになった。それは或る意味では正しいのだが,見方を変えると,労働者側のよろ好みが激しくなっただけでもある。仕事に生甲斐などを求めず,なるべく楽になるべく大きな金額を得ようとするようになった。それは悪いことではない。というのも,私は,ベイシックインカムが導入された社会が理想だと思っているからだ。つまり,労働と収入はイコールではないという考えなのだ。

労働は,社会の為,他の誰かの為になるであればいい。その価値を,金という対価に置き換えること自体が間違いなのだ。

話は逸れるが,政府がインボイス制度を強硬的に導入した最大の理由は,税収の増加を狙ったものではないという説がある。何故なら,元々売上の少ない小規模事業者から取れる消費税など知れている。ある試算では僅か2,500億円程度だという。政府にとっては,なくてもいいような税収だ。では,なんの為にゴリ押ししたのか。そのような個人を中心とする自営業者を廃業に追い込むためだ。では,なぜ,廃業させるのか。
その人達は廃業に追いやられても,食い扶持は必要で,個人で起業しても,多くは同じ轍を踏むことになる。よって仕方なく低賃金で悪条件でも,企業に就職せざるを得なくなる。例えば,人手不足とい言われる介護業界や物流業界だ。ブラックの筆頭だ。政府はこのようにして,労働者のコントロールを目論んでいる。いわゆる3Kの仕事に外国人をあてがう植民地的政策が進まない中,自国民をなんとか合法的に動かす必要があるのだ。

そもそも,資本主義とは資本家が労働者を搾取し,生産物を必要の有無にかかわらず,消費者に買わせることで,自分たちが利益を得るという仕組みだ。元々そこに分配や平等という概念はない。その考えが間違いか否かは,現在の世界の財界を見れば一目瞭然だ。日本も同様だ。大企業のみが富を独占し,個人の自由な経済活動はドンドン阻害されていく。各国の政府というのは既に財界によってコントロールされているので,政策も企業寄りとなる。


閑話休題。

今回の問題も,若い世代が,或る意味SNSを悪用した例だ。SNSの力は今や小さくない。経営者を殺すには刃物は要らぬ,SNSの炎上があればよい,という時代だ。

私は,いなば食品の実態は知らない。女帝と言われる経営者と会ったことも話したこともない。ひとついえるのは,会社は経営者のものであっても,会社を構成し支えるのは社員であることに間違いはない。労働環境が劣悪なら,少しずつでも改善しようとするのが順序ではないだろうか。まだ働いてもいない会社に入りたての新入社員に,その会社を批判する資格などない。石の上にも3年という言葉があるが,ある物事を批判するにはそのくらいの経験は最低必要だろう。

長年経営者の座に居座っている人を説得し,がっちり出来上がって会社組織と意識を変えることはいち新入社員には無理だろうが,それをやるしかないのだ。嫌で辞めたとすれば,辞め際に会社の批評をするのではなく,自身の無力の言葉を垂れればいい。飛ぶ鳥跡を濁すとはそういことだ。恨みつらみの言葉を残して去っても,その人の価値は上がらない。

これは,日本の政治を変えるいうのと同じ話だ。どうやったらあんな世界を変えられるのか。どこから手を付ければいいのか。途方もない話だ。しかし,不平を言うだけで,なんの行動も起こさなければ,何も変わらない。何もしないで神仏に祈ったところで何も変わらないのだ。

我が家の猫たちは,いなばちゅ~るが大好きだ。世の中の殆どの猫はちゅ~るが好きだ。

私は,いなば食品の経営者を養護するつもりは全くない。経営者は,会社を支えているのが社員であることを常に意識し,伴に会社を発展させることを考えるべきだし,労働者は,自分はなんの為にその会社で何のために働いているのかを再認識する必要があるのだろう。

今の世の中では,否,いつの時代にあっても,全ての国民がなんの不満もなく暮らせることなどあり得ない。誰かの幸福は,必ず誰かの犠牲の上に成り立っているということを忘れてはならない。それを犠牲と思うことなく暮らせる生き方が,一番幸福なのかも知れない。

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